【歴史探訪】日本橋両国・・?(地名から読み解く明治から昭和まで続く日本橋の歴史)

こんばんは、りょうバーマンです。

気付いたら2020年も折り返しで、残すところ半年となりましたね。

 

私的な話ですが、今週から束の間の一人暮らし生活を送ることになり、本日が最初の週末でした。

 

元々は日本橋人形町にある日本橋図書館でのんびり過ごす予定でしたが、コロナ対策で使える座席も間引かれてしまい、閲覧席を含めてどこも席が空いてなかったので、仕方なく館内をブラブラしていたところ、なんと日本橋の古地図コーナーがあるではないですか・・!(何故だか、このコーナーは誰も利用しておりませんでした)

 

普段から日本橋散歩が趣味な筆者ですが、これは歴史探訪(歴史の中を散歩)するには絶好の機会と思い、ここぞとばかりに江戸時代〜昭和時代に至るまでの古地図を読み漁っておりました。

 

そこで、なんと現在の東日本橋二丁目が昭和46年(1971年)頃までは「日本橋両国」といった地名だったことが判明しました・・!!

 

f:id:ryosul:20200704232837j:plain

日本橋両国

この両国という地名を聞いて、筆者の中で長年疑問に思っていたあることが腑に落ちました。

それは東日本橋から浅草橋へ向かう途中に存在する郵便局の名前が「両国郵便局」であったことです。実は筆者は台東区の浅草橋にも住んでいた期間がありますが、その時も台東区から中央区に来たはずなのに、何故墨田区の両国の名前を冠した郵便局があるのだろう・・とずっと疑問に思っておりました。

両国郵便局 (東京都) - 日本郵政グループ

 

参考までに、当時のことを調べてみたところ、以下のことが分かりました。

 

”今の東日本橋とよばれている町、両国一帯の地域は昭和46年4月の住居表示実施によって、米沢町3丁目、若松町薬研堀町、矢之倉町、村松町を合わせて、東日本橋1丁目とし、両国を東日本橋2丁目、橘町の大部分(一部が久松町として残りました。)を東日本橋3丁目とし、江戸時代から親しまれて来た古い町名が東日本橋に統一され、両国とよぶことも町名としてはなくなったのです。”

 

www.nihonbashi.gr.jp

 

明治11年1878年)の東京市15区創設以来、親しまれた「日本橋両国」という地名が昭和46年に至るまで存在していたということが分かると、現在の地名にもより愛着が湧きますね。

参考までに、三井不動産はこの旧地名を利用した「日本橋橘町」といった名称のパークホームズを分譲しております。日本橋○○町といった住所は旧日本橋区の地区であることの名残で、それによって物件にプレミアが付く仕組みですが、その心理を上手く突いたマーケティング手法であると評価できますよね。筆者が三井不動産の営業マン or マーケティング担当者であれば、同じく旧地名をマンション名に入れただろうなと思いました(これは完全に主観ではありますが、東日本橋に住むと、住所が中央区日本橋〇〇町ではなく、中央区日本橋△-△△といった表記になってしまうので、日本橋○○町アドレスのプレミアが付かない分、物件価格は多少安くなっているようです)。

www.31sumai.com

 

以上、本日は旧地名に思いを寄せてブログを執筆いたしました。

中央区は毎回新たな発見や気付きを与えてくれるので、非常に刺激的で魅力的な街ですね。

 

他のエリアの歴史探訪もしてみたいといった声がありましたら、是非コメント蘭までご意見をお聞かせください♪